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2011年08月 アーカイブ

日産車の場合・・・

日産というメーカーは、とにかく、自分がどんなポジションにいるかということを確実に把握し、その上で何をすべきなのかを考えることです。


そのためには、トップは「日産自動車の存在意義」「日産車の存在意義」といった基本的な点において、誰に向かっても声を大にできる答えをまず引き出すべきです。


・・・そうしないと、焦点の定まらない日産車といった不安定な流れはますます強くなっていってしまいます。


場当たり的な「差異の論理」による商品開発を続ける限り、明るい未来は迎えられません。


ところで、差異の論理を下敷きにした場当たり的車作りですが、これは「数字競争」にも象徴されるように、日本のメーカーすべてに当てはまることです。


そしてその中には「グリコのおまけ」的レベルの付加価値競争も多かったのです。


中古車情報市場や日本市場が成熟していない段階ではグリコのおまけ合戦もそれなりの効果はもたらしました。


・・・しかし、数量的にも飽和状態が近づきつつあり、またバブルの崩壊をきっかけにユーザーの多くが「クルマ飢餓症候群」から抜け出しつつある現在の状況を考えると・・・


今後、こうした薄っぺらい表層的付加価値の効果は加速度的に薄れてゆくことになるはずです。

日産の車作りの流れ

日産は一時期、一見して自由風土的開発状況を手にしたかに見えたことがありました。


「Be-1」とか「SlCARGO」といった車を作りだした頃ですね。


しかし、当時の日産の中身をよく眺めてみると、それほどクリエイティブ・・・


創造的な風が吹いていたわけではなかったことに気づきます。


一見して自由闊達で創造的な車作りを推し進めているかのように見えはしましたが・・・


実際には差異の論理に振り回され、トヨタと、当時上昇気流に乗っていたホンダの狭間にはまり込んで、苦し紛れに飛び出した作品がたまたま自由風土的イメージをもたらしただけのことです。


少なくとも私はそうみています。


そして、そんな中身の伴わない自由風土的イメージに自らがのめり込み、商品開発はますます大きく芯の振れたものになっていってしまったのでしょう。


「日産自動車の存在意義」「中古車の存在意義」「日産車の存在意義」をまず問い、然るべき後に、「どんなブルーバードを作るか」ではなく・・・


「ブルーバードが存在する意味と意義」を問うことから開発をスタートさせるといったステップを踏むことが必要なのではないでしょうか。


・・・そうすれば、いわば「錯覚的高性能路線」あるいは「錯覚的個性化路線」とでもいうべき日産の車作りの流れは変わるような気がします。


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